第10回『それでも、生きてゆく』

脚本家の坂元裕二はマザコンだと思います

このドラマは、悲惨な事件の加害者家族と被害者家族が、決して乗り越えられない深い傷と対峙する様子を描くとともに、「母親」を描く物語でもあるのです。「残った子供を守りたい」加害者の母と、「子供を守れなかった」被害者の母。子を奪った男の母より子を失った母のほうが自分を責めつづけているという構図はとても真実味があると同時に「母親という生き物」のグロテスクさを表現するものでもありました。

脚本家の坂元裕二は、思えば「母とは何か」を作品で問い続けてきました。最近の作品だけでも、子供を虐待もしくは捨てた母親が4人。このドラマでも、加害者である文哉の母は文哉を捨てています。そして子を失った被害者の母もまた、亡くした子に執着して自分を責め続けるあまり、洋貴を捨てているのも同然なのです。
一方で、満島ひかりをシングルマザーに据えた『Woman』では、夫と死に別れ、残された二人の子を育てるために社会の底辺を這いずりまわる若い母親を再生不良性貧血にまでして、それでも母であろうともがく様子を描いたりして、一体どこまで母親を極限に追い込みたいのかと首をかしげてしまいます。よほど母親という性に対して厳しいか、懐疑的なのか、夢が大きすぎるのか、どちらにしろいわゆるマザコンの1000倍ぐらいねじれまくった巨大なマザーコンプレックスを抱えていることは確かに思えます。ドラマは面白いけど、よく考えると女性にとってはうっとうしげな脚本家です。

この作品で被害者の母という難しい役どころを演じたのは演技派の代表格、大竹しのぶ。事件から今までの心境を初めて吐露する独白シーンは、なんと10分近くに及ぶ長回し!さすがの貫禄です。圧倒的でした。もうひとつの見せ場である文哉との対決シーンも、手加減なしのハードコアバイオレンスがすごかった。けども。あの熱すぎる演技で何かっていうと「わたし、お母さんだから!お母さんだから!!」と妖怪みたいに凄まれると「そうなんですってね」とご退場願いたくなるというか、坂元裕二のマザコンの暑苦しさとあいまってうんざり必至です。

そんな毒々しい母親の物語を乗り越えて、洋貴と双葉が繰り広げる「再生の物語」はどんな帰結を迎えるのか?最終回です。誰をも泣き相撲に陥れる、スケールの大きすぎる最終回。私はいまだに受け止められません。
「悲しみの向こう側へ、進め」
これはラストの台詞です。果たしてこのドラマを観たあなたは、向こう側が見えるでしょうか?ぜひとも最後まで観て、ご自分の目で確かめてください。

松下祥子@猫手舎
WEB専業コピーライター兼ライター。大手検索サイトでのWEBマガジン立ち上げを経て独立、ポータルサイトでのコミックレビューコンテンツをはじめ、WEBサービスや広告にこまごまと参加。得意分野は映画、ドラマ、本、旅行、オカルト、動物、昼寝などなど。