第31回『北の国から 83′ 冬~ 2002 遺言』

『遺言』が最終回で本当によかった

問題は『98’時代』の後編から。連続ドラマから数えて初めて退屈したわけです。『時代』は『北の国から』史上最高の長尺、なんと前後編あわせて310分もあるのに、今まで女での失敗こそが人生だった純が突然真人間になって、すると純の魅力が急に落ちてしまった。無農薬農業という綺麗事に歯向かった草太には、準主役という大役からは考えられないほどのあっさりした死が天罰のように訪れ、そこが純の涙という毎回のお約束へと繋がっていく流れは、初めてこのドラマで説教くささと無理やり感を感じました。

その4年後の、万を持しての『遺言』です。スタッフ高齢化のためシリーズの打ち切りが発表されたためか、視聴率は40%に迫る数字でした。しかし死の引っ張り2連続はいかにも陳腐で、物語のトーンも純のキャラクターも『北の国から』最大の特徴である陰鬱さが一切なくカラリとコント調。唐十郎の舞台さながらの大芝居など見どころは多かったけど、まるで別のドラマのようなのです。根室でのひっちゃかめっちゃかな設定は、純の自分探しがいきなり終わる違和感を隠す効果よりも、杉田成道の次作『若者たち』惨敗の前触れを感じてしまいます。

参考までに、吉岡氏が結婚離婚に至る契機となったラブラブシーンから裸体での格闘のシーンを。

純の丸く収まりすぎな達観に続いてラストの五郎の遺言。ついに制作者が言いたかったことをそのまま台詞にして出しちゃった。冷酷さを貫くことでこらえ難い切なさを浮き彫りにしてきた『北の国から』とは思えぬダサすぎる態度です。こういう変化は確かに高齢化の現れで、打ち切りはだからこそ、英断だと思いました。続けていれば、橋田壽賀子化は避けられなかった。ひたすら説教くさいだけの、老害丸出しのドラマへと転がり落ちたことでしょう。

『遺言』はそういう意味で、実に晴れ晴れとした、素晴らしい最終回だったと思います。制作者、視聴者総出の「お別れ祭り」なのですね。薄目で拍手を送りたいと思います。

松下祥子@猫手舎
ほぼWEB専業コピーライター兼ライター。大手検索サイトでのWEBマガジン立ち上げを経て独立、ポータルサイトでのコミックレビューコンテンツの企画運営を始め、WEBサービスのブランディングや広告にこまごまと参加。執筆の得意分野は映画、ドラマ、本、旅行、オカルト、犬、二度寝な