(ほぼ)童貞をこじらせちゃったヒキニートがモテた果てにあるものは?
皆さんこんにちわ。「勃起」と書くと異様にテンションが上がってしまう小2病の猫手舎42歳です。師走ももう半ば、今年も結局浪費してしまったなと、後悔のあまり鬱になるので12月が大嫌いです。だから『モテキ』の主人公が現実から逃げまわる気持ちが本当によく分かるんです。ということで今回は、21世紀最高のモラトリアムドラマ『モテキ』(2010年/全12話)をご紹介したいと思います。脚本&演出は大根仁。テレ東「ドラマ24」第20弾特別企画、第48回ギャラクシー賞入賞作品でございます。
『モテキ』を全国のヒキニートに捧げて、もいいのか?
この物語をさくっと紹介すると、元ヒキニートのアラサー男・藤本幸世(森山未來)に突然「モテキ」がやってくる、というもの。そう書くと、絶望の淵にあった男に人生一度の幸運が舞い降りた話に見えます。しかしこれ、よく見てみると全然そういう話じゃない。原作マンガを紐解けばなおさらよく分かります。
そもそも幸世のルックスは悪くない設定なのです。原作ではドラマよりさらにいい。幸世は確かに彼女ができたことはないけど、だからって今まで全く女っ気がなかった訳でもない。このレビューで先に紹介した『結婚できない男』や『最高の離婚』のように、人並みに出会いはあったのです。ただ本人がそれを台無しにしてきただけで。
幸世は大きすぎるコンプレックスのため女性と向き合えないだけなのです。この物語はその原因を、太り腐ったヒキニートであった時代に求めているわけですが、原作には、ヒキニートの「性欲」を巡る複雑怪奇な絶望、つまり勃起と純情の狭間で出口のない敵と戦っている様にリアリティーがないのです。色々頑張ってはいて、特に序盤なんかドラマでもそのまま映像化されたぐらいだけど、原作は半ばを過ぎた辺りから、話の軸がただの恋愛ものみたいになってしまう。
そこが結局、久保ミツロウが女であることの限界なのだと思いました。BLが3Pで穴に二本差しなんて無茶な設定を入れ込んでみても本物のゲイ小説の迫力には勝てないように、彼女には精神的にはまだ童貞の、彼女いない歴=年齢のヒキニートの真の姿は描けない。
負けっぷりが幸世と同じメンタルヒキニートな人が「これは俺たちのリアルを代弁していない」と批判する視点で秀逸なメイキングを作っているのを見ましたが、それもそのはず。実はこのドラマの原作では、性欲をこじらせた彼らの真の屈折を代弁するふりをして、真逆の視点つまり「女の側から見た幸世=割とイケてるのに残念な男」を描いているのです。ヒキニートの現実なんて、どうでもいいわけです。それより何より描きたかったのは、自己卑下を理由に他人と繋がることを拒否していた幸世の成長です。しかも原作は若干できすぎ君なので、本物のヒキニートの皆さんには嫌味なだけかもしれません。
そんな原作の「割とイケてる」幸世をドラマでうまく活かした大根仁の名演出、幸世の愛らしく魅力的なダンスシーン。貼っときますね。大根さんは勃起の始末もうまいですけど、キャラの立て方もほんとに素敵。