第5回『結婚できない男』


阿部寛は果たしてぼっち男の救世主たりえたのか?

kekkon

今週お届けしますのは、2006年フジテレビにて放送の『結婚できない男』全12回。当時は「リア充」「非モテ」なんて概念もまだ誕生しておらず、キアヌ・リーブスもまだ「ぼっちセレブ」として世界の同情を集めたりなんてしてませんでした。そんな時代に描かれた、反リア充非モテぼっち男の華麗なる日常のお話です。

 

ぼっち上等・反リア充男としての桑野信介
桑野信介というのはこのドラマの主人公である『結婚できない男』のことです。同じくアラフォーで独身だった阿部寛が演じて大きな話題となりました。

建築家でそれなりにハンサムで高身長でありながら、コミュニケーション能力の乏しさが災いして40目前で独身、「結婚できないのではなくしないのだ」と開き直って独特のお一人様人生をエンジョイしている男が、ある女医との出会いで少しずつ変わっていくとかいうお話なのですが、ベースは1997年のアカデミー賞受賞映画『恋愛小説家』だそうで。恋愛小説を書いているくせに性格が悪すぎて周りに人が寄り付かない男の話で、主演はジャック・ニコルソン。阿部寛と同じく、ハンサム枠から負け出るぐらい濃い顔です。

この桑野信介という男、「結婚できない病」スペクトラムにいる中年男性の典型的症状をかなり有しております。

・家事料理が得意
・几帳面
・それなりにおしゃれ
・音楽に詳しい
・うんちく好き
・やたらお一人様上手
・女性の家事能力や料理の腕前を批判する
・会話は基本否定から入る
・場の空気を一言で台無しにできる
・場の空気と全く関係のないうんちくを滔々と語る
・ブレードランナーが好き
・未来世紀ブラジルも好き
・本人が意図しているわけではないのに、周りに人がいない

いわゆる「コミュ障」とは少し違いますが、コミュニケーション能力に問題があるのは確かなのでここでは「中年コミュ障」と呼ぶことにします。中年コミュ障を見分ける上で最も重要なキーワードは「ブレードランナー」と「未来世紀ブラジル」です。ブレードランナーについてのうんちくを独身アラフォー男が語り出したら、即中年コミュ障フラグを立てていいと思います。相当な確率で「ぼっち」も併発してます。

主人公の桑野はぼっちがこじれて自ら「反リア充(他人を受け入れない・結婚しない)」を掲げつつ一見優雅に生きているわけですが、実際は傷つくのを恐れているだけ。そんな中年コミュ障の壁を打ち破るのが夏川結衣演じる女医、早坂夏美です。

彼女の壁の崩し方が実にいい。凝り固まった男のプライドほどやっかいなものはないのだけど、大腸ポリープの疑いに乗じて、桑野の下半身を一気に丸出しにし、菊の門をこれ以上なく犯してしまうわけです。そこに天使のような声で「お誕生日、おめでとうございます」と告げる夏美の非道い仕打ちの前に、桑野の不惑は男泣きとともに崩れ去るのです。それを機に、何故だか桑野は夏美にだけは心を開くようになっていきます。獰猛な雄犬を一度ぐうの音も出ないくらい痛めつけてから優しくすると、忠実な下僕になるのと同じ現象が、桑野と夏美の間にも起ったのです。

 

阿部寛のマスターピース
このドラマの脚本家である尾崎将也は阿部寛と組んでドラマを3作作っているのですが、その中で一番あたったのがこの「結婚できない男」です。脚本家の尾崎将也が阿部寛に当て書き(役者を想定して登場人物を作ること)をしたので当然なのですが、特に演技派でもなかった阿部寛なのに、素晴らしい怪演でした。桑野信介に関しては、そこに立っているだけで面白い。色黒で、小さい顔のなかに詰め込めるだけ詰め込んだような濃すぎる顔、強すぎる眼力、枯れ木のように長く細い体というその風貌で、女性登場人物のそばにたつだけで「ひっ」と怯えられる。まるで伊藤潤二の描く恐怖キャラみたいでした。メンズノンノ出身イケメンの裏に隠された真の魅力をここまで的確に表したキャラは、阿部寛にとっては桑野信介が初めてだったのではないでしょうか。

ヒロインである早川夏美役に夏川結衣が抜擢されたのも素晴らしい。たった一話で偏屈な桑野の壁を飛び越えてしまう難しい役の説得力は、年で太めでダサいのに、清らかで知的でどこか少女のような可愛らしさもある夏川結衣でなければ出せなかったでしょう。二重あごだったり目尻や額にシワがあったりとアラフォー感のリアルはかなりのものだけど、彼女が桑野に向ける優しい笑顔は本当に、かわいい。美魔女とは正反対の、透明感ある可愛らしさが失われない女優というのは、他には原日出子ぐらいしか思い出せません。

 

マニアックなドラマを喜ぶ日本人、戸惑う外国人
『結婚できない男』の特徴は、桑野の代わり映えしない毎日の細部を繰り返し見せるのが物語の主軸になることです。家を出て仕事場に行って、帰りにコンビニとレンタルDVD屋に寄って帰る。この基本を、回を重ねるごとにどんどん細かい描写(たとえばコンビニでは青汁を○本買うとか)に落として膨らませていくことが物語の深みになり、そこにほんの小さな事件が起こるだけで一気に物語が動く感じを出すのですが、特に際立っているのは沈黙の演出です。桑野信介は基本1人なので、1人の時は会話シーンが当然ないわけです。画面は沈黙します。すると小さな動作と周辺のカットがものすごく生きてくるんです。ちょっとした会話があるときも、微妙な沈黙を敢えて作って、緊張と緩和の効果でもって、何も起こってないのに何か起こったような感動を観る側に与える。傑出した演出です。

しかしこれ、大変マニアックなわけです。コンビニでいちいち「スプーンは」「ポイントカードは」と聞かれるのがうざいとか、他の国の人にはきっと伝わらないんです。劇中で、桑野と女性との間に気まずい沈黙が流れた時に「こういう時、頭のなかで、般若心経が流れたりしないか?」と言う台詞があったのですが、こんな台詞は日本ドラマ界広しといえどももう輩出できないのではと思うぐらい私は爆笑しました。が、いかにもマニアックで、どう考えても外国人が理解できるとは思えないわけです。

実は『結婚できない男』は韓国でもリメイクされまして、あちらは放送時間が倍以上長い分オリジナルも増えましたが、日本版にかなり忠実に作られています。しかしやっぱり面白くないんです。韓国側の製作者は、きっとこのドラマが好きで、同じ面白さを出すことにこだわったはずなんです。が、日本版で追求されている「ディテールを重ねて作る静的な面白さ」が再現できず、しかし韓国ドラマの魅力である出生の秘密的な強烈な要素もないので大きな盛り上がりどころもなく、視聴率は惨敗でした。韓国版桑野を演じたのが阿部寛とは正反対の清潔感があるチ・ジニであり、夏美を清楚とは正反対の整形女王オム・ジョンファが演じたことが象徴するように、『結婚できない男』の韓国版は、まるで足に合わない靴をはかされた子供のようでした。

これは日本のドラマがなぜ海外で大きく受け入れられないかを表す大きなヒントだろうと思いました。ガラパゴスケータイのように、日本のドラマ表現は内側に掘りすぎていて、外国から見たら理解不能な域に達しているのかもしれません。必ずしも悪いことではないと思いますが。

 

結局「ぼっち」は救われるのか?
このドラマはまことに秀逸な、日本のドラマ文化の叡智が結集されたような素晴らしい作品です。それは自信を持って言えます。しかし一方で大変罪作りでもある。それは、非モテ反リア充ボッチ男である中年コミュ障という主人公の設定です。

このドラマが放送された当時、私の周りには桑野と似たような感じの男性が何人もおりました。いい仕事をしていて、小奇麗で、やたらお一人様上手で、料理もうまくてブレードランナーが好きで色々マニアック。だけど彼女がいない。彼らは特に対女性に関して空気が読めず、地雷を踏み、もしくは出会いそのものがなく、ドラマの桑野信介と同じような状況だったのですが、ドラマと違ったことは、彼らの世界には強引にパンツを引きちぎってくれる美人女医が永遠に現れないことです。それだけではありません。桑野はなんだかんだ言って、女性にモテているのです。どんなワガママを言っても許してくれる仕事仲間もいます。彼のリアルは実はかなり充実しており、相当な中年コミュ障でありながら奇跡的なくらい幸せな生活を送れています。あらゆる意味で、本物の結婚できない男にはこのドラマは嫌味そのもので、酷なものです。

一番罪作りなのは、こじれたぼっちが治る可能性があるかのような描写です。悲しいので詳しくは書きませんが、私もけっこうなコミュ障だと自認します。しかし人生40年以上経っても結局友はテレビと猫だけ。増えていくのは足の指毛ばかり。鼻毛が伸びるのも早くなりましたが、きっと死んでもコミュ障もぼっちも治らないのです。中年の結婚できない男たちもそうです。ドラマ放送から8年が経過しましたが、誰かが結婚したという話題をいまだ聞いていません。現実はもっともっと厳しいのです。

非モテ非リア充ボッチ男の気持ちを真に代弁するドラマは、今後出てくるでしょうか?……出てこないだろうなあ。考えるだけでつまらなそうだ。

「結婚できない男」(2006年/全12回)

松下祥子@猫手舎
WEB専業コピーライター兼ライター。大手検索サイトでのWEBマガジン立ち上げを経て独立、ポータルサイトでのコミックレビューをはじめ、WEBサービスや広告にこまごまと参加。得意分野は映画、ドラマ、本、旅行、オカルト、動物、昼寝などなど。