第32回『デート〜恋とはどんなものかしら』

「デート」と「昼顔」に共通するもの

※これより最終回ネタバレになりますので、お気をつけください。

このドラマが何より素晴らしかったのは、最終回のどんでん返し!してやられたーさすが古沢良太の脚本だと膝を打つやら号泣するやら、泣きながら「よし!」なんて誰もいない部屋で叫んだりして、若干私バカみたいでした。最終回、2人は恋を知ってる普通の彼氏と彼女を得て、依子はサプライズ誕生会でプロポーズされたりしてもう、幸せの極みなんです。あれこのまま結婚しちゃうの?巧も彼女とすごく幸せそう、なんてハラハラしましたが、しかしこの物語の終焉は、最終回冒頭に謎の女(白石加代子)が呪文のごとく言い放った「ある言葉」によって突然ひっくり返ってしまうのです。

「楽しいばかりの恋なんて、なんだかおままごとみたい」
「恋って恐ろしいもの。一旦踏み込んだが最後、永遠に続く底なし沼」

彼らは頑なにお互い好きであることを否定しますが、何かというと喧嘩という形でくっついてしまう2人に愛想を尽かした恋人達が去っていこうとすると、依子と巧は彼らを引き留めようと、必死に説得を始めます。そしてまさかのこの時、大どんでん返しが起こるわけですよ!彼らはやっと理解します。苦痛を伴わない恋など本当の恋ではない、という謎の女の言葉の真意を。

「たとえ苦痛でも、たとえ不幸でも、その人がいなければ、生きている意味がない。それが恋」

これはやっと巧への思いを認めた依子が言った言葉ですが、去年お茶の間の女性たちのムラムラを爆発させた不倫ドラマ『昼顔 午後3時の恋人たち』(内容を忘れた方は本レビュー過去ページを参照のこと)のテーマ「身の破滅をもたらす恋こそ本当の恋」を彷彿とさせますよね?あの美男美女が繰り出す美しくも恐ろしい愛憎劇と、この痛痛な社会不適合者達の笑い満載の恋物語が、酷似したテーマを描いていたなんて……しかし言われてみれば実際そうかもしれません。修羅場の辛い恋があるからこそ、結婚相手には安定を求めるのかもしれないな。だから恋愛と結婚は別とよく言われるのかもしれないな。過去を思い返してみると、最高に好きだった相手との恋は常に苦痛に満ちたものだったなー、なんて、チャラい月9ラブコメなんかからこんな重たくてカッコいい気づきを突きつけられようとは思いもしませんでした。

恋愛ものとは縁がなさそうな古沢良太は、ラブコメを書いても怒涛のような早台詞にどんでん返しが続くひねくれた展開は手放さなかった。このドラマが、出会いが最悪な男女が裏返って運命的な恋の相手になるというラブコメの典型を行くのも、依子が恋を廃しながらも憧れているとか、妄想の母に苦しめられながらも誰よりも愛しているとか、表面とは逆の真実が常に用意されていることを表す道具だてだったのかもなと思うと、なんと手の込んだドラマでしょうね。手の込んだといえば、2人が今時ガラケーを使っているその使い方の差なんてね、唸らされましたよほんとに細部までよく出来たドラマでした。気になる方はドラマ本編でチェックしてみてください。

しかしね。40も大きく越えてくると、どんな修羅場でも恋愛モノっていうのは眩しくて仕方ありませんね。あー遠い昔にそんな経験もあったっけ……なんて思いながら、高等遊民を気取ってこうしてドラマ評なんて書いてる暇があったら昼顔妻のようにもう一度街に繰り出して苦しい恋に手を出してみたいけど、まず風呂に入らないと。そこから街までのハードルが高すぎる。引きこもり問題を解決するのはなかなか難しいですよ、政府の皆さん。

※今現在、『デート~恋とはどんなものかしら』はこのあたりから全話みられるようです。

松下祥子@猫手舎
ほぼWEB専業コピーライター兼ライター。大手検索サイトでのWEBマガジン立ち上げを経て独立、ポータルサイトでのコミックレビューコンテンツの企画運営を始め、WEBサービスのブランディングや広告にこまごまと参加。執筆の得意分野は映画、ドラマ、本、旅行、オカルト、犬、二度寝。