第20回『ブレイキング・バッド』

長期シリーズ化を拒否した完璧なクオリティー

妻の「愛」という名の干渉に常にプライドを踏みにじられるウォルター。悪の道へ入ることで得た相棒ジェシーを常にバカにするウォルター。彼の小ささは本当に生々しい。そんなウォルターが輝きを取り戻すのがクリスタルメスの製造という設定は、アメリカの地方都市でメス中毒が深刻な社会問題である現状を踏まえると、非常に過激で物語を一層生々しくする題材であることが分かります。

舞台がニューメキシコというのがさらにね。お隣は麻薬の本場メキシコです。何とも生々しくもかっこいいわけです。ブラックコメディー、荒野、車、麻薬、抗争、アンチヒーロー。アメリカン・ニューシネマから脈々と続くUS流ノワールのテイストを、テレビドラマである『ブレイキング・バッド』がこれほど高い完成度で表現してみせたというのは驚異的というか、新シーズンを見るたびに本当に感動しました。特に音楽の使い方がいい。よくぞこんな変な曲を見つけてきたなとか、音楽でシーンの意味合いこんなに変えられるんだな等々感心することしきりで、曲の使い方のカッコよさ、巧みさはもう、タランティーノクラス。まじで。ほんとに。カッコイイとしか言えない。最終回の最終シーンにかぶさる曲は、絶対聞いて欲しいです。曲名は敢えて書きませんが、私はそのシーンと曲ではっきり、この複雑極まる物語が何を描きたかったかを受け取って、涙を禁じ得ませんでした。と書くとほんとにクール一本槍な感じがしますが、あくまでダサい50男の話。このダサさとクールさの絶妙なさじ加減が、奇跡のハーモニーを奏でる作品なのであります。

『ブレイキング・バッド』を語る上で最も重要なのは、このドラマがシーズン3の時点でシーズン5での終了を宣言したところです。人気が続くかぎりシリーズを続行していくというアメリカドラマの常識を排した結果、一切の無駄がない緻密なストーリーと、最高のエンディングを実現することができたのです。普通はシーズンが進むと質が落ちてくるものなのに、『ブレイキング・バッド』は最終シーズンでエミー賞の作品賞を2年連続受するという快挙を成し遂げました。これは異例中の異例、でも観たら誰もが受賞を納得するでしょう。こんなに完成度の高い最終シーズンを、今までアメリカのドラマで見たことがありません。

『ブレイキング・バッド』を放送したケーブルテレビ局のAMCは、第11回で紹介した『ウォーキング・デッド』の制作局。AMCといえば低予算ドラマの代表格で、現在Netflixとともにアメリアドラマ業界の台風の目なのです。思えば『ウォーキング・デッド』も第一話でパンツ一丁の主人公がテンパってました。AMCが予算を絞りまくって繰り出す次なるパンツ一丁はどんな男か、今から楽しみに待つこととします。その前に、『ブレイキング・バッド』から必ず得るべき教訓を復唱することから始めましょう。それでは皆さん、ご一緒に。

「麻薬、ダメ。ゼッタイ。」

松下祥子@猫手舎
ほぼWEB専業コピーライター兼ライター。大手検索サイトでのWEBマガジン立ち上げを経て独立、ポータルサイトでのコミックレビューコンテンツをはじめ、WEBサービスのブランディングや広告にこまごまと参加。執筆の得意分野は映画、ドラマ、本、旅行、オカルト、犬、昼寝などなど。