第20回『ブレイキング・バッド』

中年の危機と中二病のリアル

ウォルターの送っているしょぼい日常は、既婚男性が陥る典型的な「中年の危機」そのものです。仕事のキャリアも頭打ち、でも子供は一番お金がかかる頃だったりして、あらゆる場面で自分を犠牲にしなくちゃならない絶望感。若さの破片すらいよいよ尽きてしまうという焦り。自分の有能さを誰も評価しないことへの怒り。そんな巨大な鬱憤が、ガン告知をきっかけにしてウォルターをワルへと変貌させるのです。つまりこの物語は、悪の道へ踏み出した男の転落を描くと同時に、あらゆるしがらみを断ち切って自分の「才能」を開花させる自己実現の物語でもあるのです。

考えてもみてください。しみったれた五十路男の隠れた才能が突如開花して闇の世界の「謎の大物」として君臨するなんて、うっかりすると中二病レベルに痛くなりそうな成功談ですよ。今まで高校の二流教師相当の評価しか得られなかったのに、裏社会では誰も成し得なかった「純度99%のクリスタルメス」を作る伝説のコックとなるのです。その名も「ハイゼンベルグ」。かっこいー。バースデープレゼントが妻からのおざなりすぎる手コキだった頃からは考えられない栄光です。

一方でウォルターは、天才的だけどいつまで経ってもダサいのです。ひとりよがりで、相棒の才能に嫉妬し、自分のプライドを保つために周囲をけなし、妻に自分の価値観を押し付ける姿はまさに扱いづらい50男の内実そのもの。彼は中年デビューすることで自我を開放してしまった結果、醜くいびつな自分の人格を外にさらけ出すことにもなります。どれだけ大物になっても誰も手下ができず、あらゆる危機を七転八倒しながら一人で切り抜ける様が痛々しいのは、中二病レベルの自己肥大感を伴ったウォルターの中年デビューが正視できないくらい孤独だからです。

果たしてウォルターは運命を切り開いているのか、それとも翻弄されているだけなのか?彼は善人だった頃からシーズン4までずっと、腕時計がデータバンクでした。80年代の少年たちの心を鷲掴みにした夢の腕時計です。人生がワクワクで一杯だった青春時代からいろんなものを失って、唯一許されたウォルターのなかの「青春」がデータバンクだったわけです。そして『ブレイキング・バッド』のなかで唯一ワクワクするシーンが麻薬製造場面であったのは、彼の取り戻した青春が決して家族に喜ばれないこと、作れば作るほど新たな怒りをためていくことを皮肉にも表していました。

ウォルターをこうも細かく分析できるのは、脚本が素晴らしいのは当然として、ウォルターを演じたブライアン・クランストンが猛烈にリアルだったからです。素でやってるのかと思うくらいでした。シットコムで培った軽妙なコメディー演技を下地として、ウォルターの成功と崩壊を鬼気迫る緊張感で演じ切りました。アンソニー・ホプキンスが「ウォルターの演技は生涯見た演技のなかで最高だ」とクランストン氏に絶賛のファンレターを出したというのも心から納得です。

松下祥子@猫手舎
ほぼWEB専業コピーライター兼ライター。大手検索サイトでのWEBマガジン立ち上げを経て独立、ポータルサイトでのコミックレビューコンテンツをはじめ、WEBサービスのブランディングや広告にこまごまと参加。執筆の得意分野は映画、ドラマ、本、旅行、オカルト、犬、昼寝などなど。