vol.11 W杯日本戦でドログバが演出した魔の2分間

こんにちは。STRコミュニュケーション協会の森松信樹です。

先週日曜のサッカーW杯日本対コートジボワール戦。友達の家でTV観戦をしていましたが、2−1で負けてしまいましたね。

前半16分、左サイドから長友がパスを流し、ペナルティーエリアで受けた本田選手が左足で鮮やかなGOALを決めたときは、このまま勝てるかもと期待を持っていました。

しかし、後半17分にドログバ選手がピッチに立つと、コートジボワールの動きがガラッと変わります。

後半19分にオーリエ選手が右サイドから右足でクロスボールを打ち、走り込んできたボニー選手がヘディングシュートを決めて同点に。直後の後半21分に、オーリエ選手が同じような右サイドのクロスボールから、今度はジェルビーニョ選手が頭で合わせ、逆転されてしまいます。

ピッチの空気を一変されてしまったコートジボワールの国民的英雄、ディディエ・ドログバとはどういう人物なのか、STR的に見てみたいと思います。

ディディエ・ドログバ 1978年3月11日生まれ

【心:□3海】(本質。家族や恋人から見た人柄)
クールな雰囲気を持つセンスのよい人物である。物事に動じない冷静さと度胸のよさを演じているものの、自己コントロールに甘く、追い詰められると腰が座らなくなる。ここぞというときには、何が何でも結論を出す、という行動力と勝負強さは素晴らしく、結果がすぐ出るようなことでは実力を発揮しやすい。利益を第一に考える合理主義者であるから、仕事に対する意欲と努力は旺盛である。

【頭:□1】(考え方。仕事の時の様子)
人まねが嫌いなアイデアマンで、誰からも文句を言われない世界を築きたい。周りとのバランスを考えながらも、自分のペースが大切でゴーイングマイウェイ。

【適応値:L7】(ストレスの受けやすさ)
団体生活で生きて行くのには少し適応値が低いです。周りからのストレスを感じたら、一人になる時間を多く取ってください。

 ・・・・・

ドログバ選手は、父親の影響で5歳からコートジボワールからフランスに渡り、サッカー選手だった叔父の影響でサッカーを始めて、パリ郊外の地元チームでも頭角を現します。1998年、19歳でル・マンUCとプロ契約し選手生活が始まります。2004年〜2012年までは、イングランド・プレミアリーグのチェルシーでプレーをし、合計100個のGOALをあげ、得点王やリーグ優勝に大きく貢献しています。

心に「□3」を持つ人は、子供のような前向きでアクティブな人です。とっさの状況判断や機転に優れていて、短期勝負にはめっぽう強く、最大限のパワーを発揮できます。FWというポジションはまさにうってつけですね。

また、なぜコートジボワールの英雄と呼ばれているかですが、2002年、与野党政治家や軍部の権力争いから内戦が勃発し、政府派の南部と反政府派の北部に国内が分裂します。「北部の住民は真の国民(Ivoirite=イヴォワリテ)ではない」という南部政府派の思想に反発して、“南部出身”のドログバ選手が、「みんな同じ(Drogbacite=ドログバシテ)なのだ」と主張する運動を始めます。

そして2005年の10月、2006年ドイツW杯への出場を決めた後、チーム全員と一緒に生中継のテレビカメラに向かってひざまずき、

「コートジボワール市民の皆さん、北部出身の、南部の、中部の、そして西部出身の皆さん、私たちはこうやってひざまずき皆さんに懇願します。許し合ってください。コートジボワールほどの偉大な国がいつまでも混乱し続けるわけにはいきません。武器を置いて、選挙を実施してください。そうすれば全てが良くなります」

と内戦をやめるよう訴えたのです。これが大きなきっかけとなって、1週間以内に内戦が収まりました。

みんなが考えつかないような方法で、和平に導いたドログバ選手。頭の「□1」がそうさせたのか、お互いが得をするのがモットーの「□3」がさせたのかいずれにせよ、サッカーを超えた国民的ヒーローとして敬愛されています。

最後にもう一つ、「□3」は目先の利益にこだわるところがあります。年俸12億円をチラつかされて中国スーパーリーグ・上海申花へ2012年に移籍するも、給与未払いなどが原因で、またすぐガラタサライへ移っていきます。そんな所はドログバ選手の人間らしい面かもしれませんね。

いかがでしたか?
身近な人のタイプが知りたい時はこちらから無料診断してみてください。
STRコミュニュケーション協会

それではまた来週〜♪

STRコミュニュケーション協会CIO・森松信樹
義□1海△1△1H60 2009年の皆既日食を見に、わざわざ宝島に行ったのに、雨で見れなかったぐらいの雨男。 STRの無料診断はこちらから http://str.jp.net/