場末のゴルフショップ像

B級だとか、場末だとか

土曜の夜に、家で飲んでいることをフェイスブックに投稿したら、大学の先輩から「家にいるのなら飲みに出よう」と声がかかり遅めの時間から外に繰り出してきました。

連れて行かれたお店の名前は特定しませんが、バーという名こそついているもののなんといいますか、それはまあ、賑やかなお店でした。

最近の上海には、よくできたお店がどんどん増えています。なにをもって「よくできた」というかですが、要するに
こういう店を知っていたら誰かを連れて行くときに自慢できるな、という基準でいいと思います。

今日、その先輩に連れられて行ったお店は、その観点では「よくできた」からおよそかけ離れたところにあって、かなり人を選ぶ環境だったような気がしますが、個人的な好みでいえば、居心地のいいお店でした。

場末、ということばがあります。語義的には、「繁華街の中心部から離れ場所」という意味でしょうが、実際には中心部にあろうともまるで中心部には似つかわしくない要素を備えている場合に使われるかと思います。

本来、あまり褒められたことばではないはずです。
どちらかといえば「どうしようもない、行き詰まり」というようなニュアンスで使われることが多いでしょう。でも、「場末」には「B級グルメ」がいつのまにか人気を得たように、たまらなく人を惹きつけてしまう吸引力がある。「場末の店」というとき、一般的にはよくできているとはいえなくても、そのB級グルメ的な意味合いで、ある種の褒めことばとして使われることさえあるでしょう。

場末のお店が好きです。
流行とは無関係に、誰に媚びることなく好きだからやっているようなお店。雑然としていて無秩序で、決して時流に乗っているとはいえないけれど、その方が居心地がいいのだから仕方がない。

上海のように、凄まじいスピードで進化し続ける場所にいると、常に新しくできる場所やお店ばかりが取り上げられるものだけれど、そのなかで振り落とされずにきちんと残っていくものの価値がもっときちんと評価されていいはずです。急激な時流の、そのぎりぎり端っこのほうでぶら下がっている「場末」のお店。「定番」とはちょっと違う。正統派として残ったものが定番だとすれば、場末はむしろ異端だけれどそれがなくなっては困る人たちが、しっかりサポートしてくれるからこそ流行やセオリーなんてものとは無関係でも誰かがちゃんと愛してくれる。

「いや、ひどい店なんだけどさ、なんか来ちゃうんだよね」と、きょうその店に連れて来てくれた先輩はいいました。あんまりな評価だと思います。でも、「よかったら来てあげてよ」ともいいました。なんだかこんなふうな愛され方って、いいなあと思います。

どうやったら、人が来てくれるゴルフショップになるだろうかとずーっと考えています。個人的には、正統派のお店より、場末感漂うゴルフショップって面白いなあと思うのだけれど、たぶんうちのプロは大反対するでしょうか。

場末のゴルフショップって、どんなものだろうか。
酒やけでしわがれ声のママとかがいる店だろうか。