あえて井の中の蛙になる

中部がプロゴルファーになるのを諦めた理由が、ジャック・ニクラウスとの「対面」にあったことは有名な話だ。1960年、19才で日本代表として出場した世界アマチュアゴルフ選手権でニクラウスの神がかった才能に圧倒された中部の成績は、団体16位、個人81位。負けと言うにもおこがましいような惨敗だった。

この時、中部は思った。「世界を目指してはならない」「プロになってはいけない」。井の中の蛙だったと落胆するのではなく、井の中の蛙となることを強く決心したのだった。

これは、その後の中部銀次郎を決定づけた、「条件を自分に引き寄せる」という思想を決定づけた大きな挫折であった。彼は挫折から「絶対に負けたくない」という自分のなかの強烈なモチベーションに気づき、そのために死に物狂いで頑張った。飄々とビッグタイトルを勝ち取っていったかに見える彼の中には、挫折から得た本物の目標があり、勝利への強い飢餓感があったのである。

駐在員がぶつかるギャップと壁

工場長や総経理、管理系の方や技術系、営業の方を含め、日本企業の駐在員が必ずぶつかる「ギャップ」と「壁」があります。本社と現地、赴任者と現地従業員の間にある「ギャップ」。そこに、権限の壁、異文化の壁、モチベーション維持の壁などが駐在員の前に立ちはだかります。

本来であれば、赴任前に権限や責任を明確にした上でミッションを決めておくべきなのですが、曖昧なまま赴任することが日本企業では少なくありません。そのせいで挫折を何度も経験し、モチベーションが下がっていくのです。

挫折へのシナリオ

赴任直後は意気揚々としていた駐在員の方々も、現地社員との感覚の違いなどが原因で思うように進まない状態が続くと、次第にストレスが溜まっていきます。ライバルは日本企業だけではありません。世界中の企業がしのぎを削っています。そのなかで駐在員の方は、他社はこうしている、あの企業ではこの方法でうまくいったなど、情報の渦に巻き込まれることになります。

どの情報が役に立ち、どの情報は捨ててもいいものなのか? 速やかな判断ができないまま「うちのやり方は間違っているのだろうか」と不安ばかりが募るもの。そこへ前述のギャップと壁が立ちはだかり、ついに自分を見失って潰れていく。これが、駐在員の方が経験するかもしれない徹底的な「挫折」です。

あえて井の中の蛙になる

中国市場で大きな成功を収めている企業のやり方をそのまま真似しても、うまくいくとは限りません。評価制度や賃金の仕組みをそのまま導入し、結果的に破綻寸前まで追い込まれた企業もあるくらいです。

中国で業務を進めて行く上で大事なのは、まずは現地法人のミッションを「正しく」策定することです。本社からの要望が中国市場で実現可能なものとは限りません。その要望に潰されるぐらいなら、自分の目で見た現実を踏まえ、目標を設定し直せばいいのです。

現状を混乱させている要因を直視し、自社の強みを活かせるところにのみ目標を再設定する。むやみやたらに大きな夢をみるのではなく、「あえて井の中の蛙でいる」決断をするのです。それは、求められる結果よりも下回る目標になるかもしれません。そのかわり、自分で決めた新たな目標の「完璧な達成」を目指すのです。

ここなら達成できると自分で目標を決めれば、それは「絶対に勝つ」という強いモチベーションになります。その決意で、あふれる情報の波から自社に必要なものだけを選択する指針を維持する。取り入れる情報を絞るのは「あえて井の中の蛙」でいるための手段です。

日本企業は、判断のスピードが遅いと批判されることが多いようですが、それに惑わされる必要はありません。まずは事業戦略に沿って情報を取捨選択し、利点を活かせる範疇で日本独自の手法を用いればいいのです。情報を遮断し盲目になってはいけませんが、目標を正しく策定し、そこに向けて情報を絞り、よそ見をせずに進めていく「井の中の蛙」になることも、この中国市場を勝ち抜くためのひとつの方法ではないでしょうか。

参考文献:悠々として急げ(中部銀次郎著・ちくま文庫)

中部銀次郎とは:前人未踏・日本アマ6回優勝という金字塔を打ち立て「プロより強い」と評されながらも生涯アマチュアを貫き通した伝説のゴルファー。その徹底したアマチュアイズムとストイックな姿勢には、多くの教訓が今も残る。2001年没。

金鋭(きん・えい)/英創アンカーコンサルティン グ総経理
1989年リクルート入社後、一貫してヒューマンリソースビジネスに従事。1999 年、インテリジェンス中国の前身である上海創価諮詢に経営参画。日本育ちの華僑3世。