第2回『ブレイン 愛と野望』

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ブレイン 愛と野望(2011年/全20話)

先週から始まりましたこのドラマレビュー、第2回は2011年放送の韓国ドラマ「ブレイン」。このところ日韓関係は悪化の一途をたどっておりますが、ドラマは別腹。さくっと楽しんでいきましょう。

あれ、なんか見たことある
さてこちらのドラマ、主人公が「自分の出世しか頭にない、傲慢で冷徹な天才医師」。これ既視感ありありですね。そう、日本の誇る本格派医療ドラマ「白い巨塔」の財前五郎まんまです(今回白い巨塔のネタバレあります。悪しからず)。

唐沢寿明版の財前五郎は食道外科の天才医師でしたが、ブレインの財前は天才脳神経外科医。名前をイ・ガンフンといい、財前と同じくずば抜けた才能を持った外科医です。それを鼻にかけて師を師とも思わぬ不遜な態度。患者そっちのけで出世のための政治的な謀略に夢中なのであります。しかしこのイ・ガンフン、財前と違ってすぐ負ける。すごくちっちゃい。まず大した味方がいません。そして謀略が浅い。おいおいなんか企んだぞと思った次の瞬間には危機。見てるこっちは画面に向かって「あぶないそれ墓穴!ぼけつーっ!」と叫びっぱなしです。そのくせ傲慢さは財前五郎の倍。口を開けば悪態です。デフォルト失礼極まりない。イ・ガンフンは今まで私が観た韓流ドラマのなかで最も性格のわるい主人公のひとりであり、それでも得体のしれない魅力を放つ珍しい人物なのであります。

「パクリ」じゃなくて「お約束」
「ブレイン」は主人公だけでなく「白い巨塔」にまんべんなく似ています。白い巨塔は単純にいうと、自身の傲慢な態度が原因で師匠と険悪な関係にある財前が、金と人脈をフル動員して教授戦を勝ち抜き、医療ミスで訴えられ裁判で負けて癌が発覚したのを機に師匠と和解して手術してもらうも手遅れで死ぬ話です。財前の教授選を邪魔する師匠、医師の鏡のような同期の内科医、財前の政治的な後ろ盾となる腹黒な外科部長、医師としての道徳を最優先する堅物教授なんて方々が登場します。ざっくり言えば、今書いた登場人物の要素を切り貼りして新たなキャラクターを作り、白い巨塔の主なエピソードを下敷きにしながら韓流に必須のラブと家族愛と慟哭をてんこ盛りにすると「ブレイン」になるのですが、パクリではないのです。あるストーリーのプロットをそっくり踏襲しながら違うドラマを作るのは「韓流ドラマの定石」なのです。

韓流ドラマの作り方
そもそも韓国には恋愛と家族を描くものもしくは歴史モノのドラマしかありませんでした。特に恋愛と家族については、大家族の嫁姑問題や子どもたちの恋愛模様を描く「ホームドラマ」、冷徹な財閥御曹司が貧乏女子に恋をして財閥一家の反対を押し切りゴールインする「ラブコメ」、愛に裏切られた主人公があらゆるトンデモな手段を使って復讐する「愛憎劇」、なんかもう全部盛りの「悲恋モノ」のどれか。この4つか時代劇しか視聴率が取れないので、同じプロットを踏襲しながら細部をひねって新たなドラマを作ってきた伝統があるのです。

そんな状況にいい加減飽きた一部の視聴者に支持されたのが韓国版「白い巨塔」(ちゃんと本家もあるのです)で、光栄にもそれが「職業モノ」と呼ばれるジャンルのパイオニアとなった。なので、お手本である白い巨塔を組み直し、必需品を補って、つまり恋愛と家族愛と涙を大幅に加えて新たなストーリーを作るのは正道なのです。ストーリーの個性が全く違う「ブレイン」がパクリに見えたとしたら、それはあなたの心が汚れているせいでしょう。私も一瞬「ひとんちの名作をお涙頂戴話にしやがって」と憤らんでもありませんでしたが、落ち着いてみたらちゃんと別物で胸をなでおろしました。

「恨(はん)」のはけ口としてのドラマ
「ブレイン」のイ・ガンフンはすぐ負けると冒頭で述べましたが、このキャラクター形成は韓国文化に関係がありそうです。イ・ガンフンの苦しい生き様が、朝鮮半島特有の概念である「恨(はん)」そのものだからです。

「恨」とは、外からは度重なる侵略と国家の分断、内からは強者による弱者への徹底的な蹂躙など、常に強い抑圧と屈辱にさらされてきた朝鮮の民が抱える怒り、絶望、悲しみ、妬み、羨望と、そこから解き放たれたいと願う心であり、他国にはない感情概念です。そして、これが韓国ドラマの骨組みなのです。視聴者が同じ話しか求めないのは、恨がどれほど深く文化に根を張っているかを物語っているのです。

イ・ガンフンもそうですが、韓国ドラマにおいて、抜群に実力はあるが極端に高圧的で孤立したキャラクターというのは大抵、恵まれない幼少期を過ごしています。家は貧乏、母は失踪、父は酒乱でDV。圧倒的な苦痛と抑圧のなかで最底辺から這い上がってきたイ・ガンフンは、財前のように老練で狡猾であってはならないのです。常に断崖絶壁で泥を飲まされる男でなくてはいけない。そしてどんな逆境にあっても、どんなに踏みつけられても常に毅然として前を向き、唾を吐きかけられたら相手の顔に吐き返す。そんな姿だからこそお茶の間で見守る視聴者の「恨」に届き、共感と涙を誘うのです。
恨の化身である主人公を最後に救うのは、金でも地位でもなく「愛」であるのも重要です。だからイ・ガンフンにもヒロインが必要で、その相手とは、時に幼稚に見えるほどピュアな愛を育んでいかねばならないのです。間違っても財前のように、金持ちの娘と結婚し、賢く美しい愛人とラブアフェアを楽しむなんて男であってはならないのです。

なんだかんだでシン・ハギュン最高
この手のドラマは男性主人公が女性視聴者の胸を高鳴らせなければダメなのですが、イ・ガンフンを演じたシン・ハギュンも、これといった特徴もない平凡な容姿ながら”ガンフンアリ(ガンフン病)”と呼ばれる熱狂的ファンを獲得しました。重症になると、ガンフンがスマホを口だけにあててトランシーバーのように話す奇妙すぎる姿にも悶え苦しむのだとか。瀕死ですね。

正直このドラマは、白い巨塔のパクリみたいだとか、ガンフンおまえがもうちょっとまともだったら3話目ぐらいで出世できたぞとか、成功している時の浮かれっぷりが痛いとか、スマホが上下逆だぞとか、いい大人がキス止まりかよとか、また記憶喪失とか、またお母さん重病とか、またお父さん酒乱とか、そういうのがどうでもよくなるくらいシン・ハギュンが素晴らしい。彼は韓国を代表する映画監督達から愛されてきた演技派中の演技派です。ここまで性格が悪くていちいち小さい男を魅力的に、しかもなんだか色っぽく演じられるのは彼しかいなかったでしょう。

最後になりましたが、脳外科医の話なので当然脳が出てくるのですが、それがリアルでオススメです。あと、1回めのキスシーン、ごちそうです!

松下祥子(猫手舎)
WEB専業コピーライター兼ライター。幼少時からテレビを友達として育つ。韓国文化ファン歴は11年。得意分野はテレビ番組、旅行、映画、書評、宗教、オカルト、動物。