お湯割りで飲む泡盛

内地人の苦悩、中国人のサービス

泡盛というのは、誰もがご存じの通り南国沖縄のお酒なので、ロックや水割りで飲むのが当然だと思っていました。暑い場所で造られた酒なのだから、わざわざ熱くして飲むこともなかろうと。でも、今日、はじめてお湯割りにして飲んでみたら案外悪くない。

今日は、以前上海で飲食店を経営していて、現在は石垣島に住んでいる知人が久しぶりに上海に戻ってきたということで、泡盛をお湯で割って飲みながらいろいろと近況報告を。

彼はいま、石垣島のホテルで働いています。上海を離れてわずか3年で、いまではそのホテルの料飲部門を任される
ポジションに就いている。端から見れば「おお、出世したね!」ということになります。

ところがそう話は簡単ではないようで、彼のホテルは外資にオーナーが移転しており、当然のこととしてシビアに数字で管理され、ドライに評価される。マネージャーである彼の配下には、もう数十年もそのホテルに勤めてきた古参社員がたくさんいて、彼らの管理をするのはもちろん彼の勤めです。

島の人間ではない彼が、島で育ち島しか知らないシニア層を管理しなくちゃあいけない。ただでさえ「内地」の人間が島の社会に溶け込むのは容易ではない中で、上司として地元の年長者を管理しなくちゃいけない状況になっているわけです。

よくよく考えると、それって中国にいるよりよっぽどハードな状況だよなと。

中国で飲食店をやるうえで、何がいちばん難しいかといえば、従業員の管理でしょう。規模の大小に関わらず、うまくいかないお店は絶対にここでつまずいています。表面上は管理が行き届いているようでも、立ち上げ段階で指揮を執っていた日本人がいなくなったあとでぐちゃぐちゃになってしまうのはよくあるパターン。たとえ日本人が継続的に店にベタ付きでいたとしても、労働習慣や意識のギャップなどを越えて日本人の感覚をスタッフに行き渡らせるのは至難の業なのです。

とはいえ、沖縄の離島に移り住んだ内地人として、島育ちの頑固なシニアたちに経営理念を浸透させながら、オーナー側のシビアな要求に数字で結果を出さなくてはいけないポジションと比べたら、まだ中国で飲食店をやる方がやりやすいかもな。。。

というような話になって、店を出たのは日付がとうに変わった後でした。

彼の苦労話は尽きることがなかったけれど、それでもサービスマンとしての喜びはお客様が満足して笑顔になってくれることだから、その想いをみんなに伝えるまではどんなことでもやると言い切った彼のことばには胸を打たれるものがありました。

サービスを変えるのって、ことばにしてしまうと本当に単純で陳腐だけれど、誰かに喜んでもらうこと、それが即ち自らの喜びでもあるという精神であって、それなしではサービス業は成り立たないし、いくら口先で「顧客最優先」などといってみたところで行為がともなっていなければすぐに馬脚を現してしまう。

最近の上海では、日本人としてもびっくりするようなサービスを徹底するレストランが出てきています。中国人だからサービスができないのではなく、サービスを提供する側の理念の問題なのだなあと近ごろ常々思います。

ゴルフのようなレジャー産業が伸びていくためには、今後サービスレベルの洗練は当然求められてくるだろうし、そこでできる日系の力って、いろいろあるだろうなあと泡盛で胸を熱くしながら思う寒い夜でした。