新しい実家
実家に来ています。
実家とはいえ、自分では住んだことのない家。そればかりか、暮らしたことすらない土地。
去年の夏、父が引退し、彼ら夫婦は生まれ故郷である熊本に引き上げてきました。一人息子としては、引越の当日だけはどうにかこうにか予定をやりくりして立ち会いましたが、その後早半年が経ち、彼らの(たぶん)終の棲家がどんなものなのかと気にはなっていたのでちょっと様子見にやって来た次第です。
前回は引越でてんやわんやの状態だったので、まだ「家」というものにはなっておらず、何か特別な印象を受けるまでには至りませんでした。今回、改めて見る「新しい実家」は、きっとまるで他人の家のようによそよそしいものなんだろうなあと感傷的な気分を抱いてきたところ、意外なことにそこがやっぱり「自分ち」であることに少し驚いています。
幼いころ、じいさんばあさんに会いに来たことはあっても自分が生活したことはない土地に移ってしまった両親の家。もちろん、いまさら自分のための部屋もない。いくら父母の住む家であったところでそこにはもはや自分の居場所は1mmもないはずなのに、家に上がり込んだ途端なんのためらいもなくくつろげてしまったのはなぜなのか。
お前が単に図々しいだけじゃないかという話であるのかもしれませんが、よくよく考えれば家財道具のほとんどは昔から見慣れたものだし、むしろ今回の引越で荷物を整理した際に発掘されたらしい懐かしい品々や写真がそこかしこに置かれていたりするのでかえって古い記憶が呼び起こされて、紛れもなく「実家感」が家中ひたひたに漂っているものだからどうしたってここはやっぱり自分の家なのだと肌が馴染んでしまう。
大学を出るタイミングで実家を出て、途中諸事情あって出戻った時期が少々ありましたが、かれこれもう15年、両親とは離れて暮らしています。とはいえ、板橋の実家を出て練馬→国立→目黒と移りはしたものの同じく都内にいる限りそこに帰ったところで「帰省」という心理ではなかったし、上海に移住後でさえも、やはり帰省をしている気分ではありませんでした。
今回はじめて、自分が暮らしたことのない場所に来ているにも関わらず、不思議なことに「ああ、帰省してるなあ」と感じています。自分のルーツがこの土地にあることが少しは関係しているのかもしれませんが、そもそも東京での暮らしが両親にとってはアウェイだったのでしょう。どんなに長くそこで生活していても、結局はそこを離れて熊本に帰って来た。生まれ育った故郷に戻ってからの暮らしがどのようなものなのかはよくわからないけれど、息子として居心地の悪いものではない家になっていることには、少し安堵しています。
それはそうと、海外に出てしまった自分がやがて帰る/帰れる場所は、いったいどこなんだろう。もはや東京ではなくなってしまったような気がするけれど、じゃあそれ以外にどこに戻れるというのだろう。